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水泳がつないでくれた出会い

M.S
職業 フリーインストラクター
土日の休日は、自らパーソナルスイミングを立ち上げ、子供から大人までのパーソナルレッスンをメインに水泳指導を行っている。 現在では、神奈川県代表選手の指導も行っている。

親の反対を押し切って進んだ水泳の道

幼いころ、父が医者、母が看護師という家庭に生まれ、毎日のように塾と習い事の毎日でした。
月曜日から土曜日まで、ほとんどが塾で、水曜日だけ水泳という日々を送っていました。勉強をしていても楽しくなく、父の職場にいっても医者になりたいと思うことがなく、なんとなく水泳を続けていたときに、二つ下のスイミングの後輩がジュニア五輪で優勝。その姿に感動して「俺も水泳選手になる!」と決めて、塾をやめてしまいました。そしてそのまま選手コースに入ったのが、小学5年生のときでした。

父親は大激怒し、大学を卒業するまで口を利かない結果になりました。水泳選手としての生活は順調で、小学生の時には市内の大会で優勝し。50M自由形では中学時代は、市内の大会では自由形で3連覇、200M個人メドレーでは、大阪府中学で10位。地区大会でも上位入賞し、全国大会までは出られませんでしたが、関西の大きな大会には出場しました。50M自由形で10位で決勝に残れなかったのが本当に悔しかった出来事でした。

高校進学にするときは、強豪高校を含めて複数の高校から勧誘をうけ、自宅には電話が鳴り響き両親がびっくりするぐらい様々な高校からお声がけをいただきました。その中から一番全国大会に出場しやすい大阪の高校に進学しました。このころが水泳をやっていて一番楽しい時期でした。

初めて味わった挫折

自信満々で入学した高校は全国大会常連校であり、初めて参加した春合宿で隣で練習している奈良県選抜チームより自分の高校のほうが強く、全国大会に出ている先輩たちに度肝を抜かれました。練習についていくうんぬんより高校レベルの違いにびっくりする合宿でした。そんな環境で今まで経験したことない荷物持ちや、控え生活をおくる日々でした。

そんなときに、水泳部の顧問から衝撃的な一言を言われました。「お前は、夏の大会は自由形の1500Mにエントリーする。」50M自由形で推薦入学した選手が1500Mにエントリーするとは実質的な解雇宣告でした。
その瞬間から練習内容が変わり、自分の思い通りにいかずみんな5000M泳ぐところを7000M泳ぐような日々でした。ただそのことが後々に、いい影響を与えてスランプを極めていた自分に泳力を復活させてくれました。気がつけば夏頃には調子が完ぺきに復活していました。

高校時代は全国大会に出ることはなかったですが、大阪の大会で2回決勝に残り満足のいく高校生活を終えました。決勝の残ったときの招集所の空気は独特でインターハイで優勝した選手や上位の選手と同じ空間にいて、本当にこの経験だけは自分の宝です。もう一回味わいたいくらい最高の時でした。

競泳からアクアスロンへ

その後、競泳では通用しないといくことがわかりアクアスロンという競技に転向したのが25歳のときでした。
水泳とランニングをたした競技でこの競技では関東大会で6位入賞が2回、スイム部門では、日本代表選手にも勝てるぐらいの泳力がありました。
ランニングが弱く強化するため女子マラソンのプロ選手と一緒に合宿を行わせていただいたり、元実業団の女子コーチの指導も受け35歳で出た市民大会では2位。関東大会では6位で表彰台にあがり水泳では両大会でも1位でした。
自分にとって水泳とは生きる場所を示してくれる大切なものです。また水泳をしていたおかげで、今まで接したことのないマラソン選手の方々と一緒に練習ができたりと幸せなものでした。

誰かに必要とされている喜び

今は会社員として、月曜日から金曜日まで働いています。文部省公認スポーツプログラマーを取得したいと考えました。そのためには指導経験が必要で、お休みの土曜日と日曜日に3歳から80歳までの生徒さんにパーソナル指導をおこなっています。その成果もあり今年の3月にスポーツプログラマーの資格を取得しました。

子どもたちには優しく接して、大人の方には無理のない水泳指導を行っています。指導方法はどんなことがあっても、怒らない。徹底して長所をのばしています。中には風邪をひいても練習を休んだことのない生徒もいます。指導のあとには生徒さん一人一人に挨拶をしてお礼をいって帰ります。自分のレッスンに参加いただけることは本当にありがたいことです。それだけで本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
学ぶことが多く、水泳を教えることで自分の人生が大きく変わりました。
自分を必要としてくれる生徒さんがいる以上は、がんばって練習しよう!と毎日1時間のランニング。
週に1回は専属のトレーナーと体幹トレーニングを1時間行っています。

水泳があったおかげで人生の選択肢が増え、40歳を超えても毎日が出会いの連続です。自分と知り合った子どもたちや生徒さんが上達していくことが本当に励みになっています。

いつかは五輪選手を育ててみたいなという気持ちがあります。
いま一人だけ小学1年生の子どもを教えていますが、五輪を狙えるような選手になるかもしれません。この先彼が水泳選手になることを選択してくれたなら、の話ですが。ひそかに期待をしています。

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