WATER-HEROES

2017/02/08/

私と水泳


右から2人目が進士さん

進士栄一郎(Eiichiro Shinshi)
有限会社ススム商事 社長
元両国スイミングクラブ 会長
現在、墨田区水泳連盟理事 YMCA朗泳会でマスターズ登録

位置について

私は小学校3年までカナヅチでした。4年生からスイミングクラブ通い始め、6年生には小学校の代表選手になっていました。水泳で自信がついたかは解りませんが、性格も内向的から社交的に変わっていきました。中学校に入りスイミングは辞め学校の水泳部に入りましたが、タイムは伸びず、高校では水泳から離れました。大学の時、友人に誘われYMCAでボランティアリーダーの一環として、子供たちに水泳指導もしていました。

用意

結婚後、3人の子供に恵まれ、わが子に水泳を教えているうちに、子供と共通の特技を持つことにより、親子の会話も順調にできました。気が付きましたら、小学校の水泳指導をしていました。子供達に水泳を教え成長をした姿をみて、教える事の楽しさを知りました。

ドーン

30歳を過ぎ仕事に追われる日々の中、時間の合間をみて週2回YMCAで仲間たちと練習をしておりました。その頃マスターズ水泳大会に参加をし始めました。あの試合での緊張感は仕事では会えません。あの緊張感を求めて、練習をしているような気がします。

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前列真ん中が進士さん

ターン

40歳を過ぎてから、マスターズ大会、区民など月1回のペースで試合に参加しています。年と共にタイムを縮めるのは難しく、いかに1年でもタイムを維持することを目標に泳いでいます。練習を休むとタイムは落ちる。「練習は正直ですね!」
45歳の時、一度体調を崩し緊急で入院をしました。病名は「突発性気質化肺炎」。医者からここ2、3日が山と言われました。後日体調は戻り、医者から肺活量が一般人より高いと言われ、これも水泳のおかげだと感謝しています。「三途の川をターンしてきました」。

ゴール

現在60歳、今の週3、4回のスペースで泳いでいます。泳ぐことが生活の一部となり、泳がないと体調に変化を感じます。約50年泳いでいますが何が楽しいのかはわかりません?
ただ水泳を通じて多くの仲間ができ、仲間の絆が太くなってきています。
これからも体がつづく限り、泳ぎ続けたいと思います。
ゴールはいつ現れるでしょうか?

進士栄一郎

2015/07/21/

息子と私にとってかけがえのない特別な時間

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山本絵美Emi Yamamoto
ベビースイミング歴6年。現在は次男と週2回ベビースイミング中

負の要素を溶かしてくれる水の魅力

私にとってベビースイミングとは、子どもと一緒になって楽しめる贅沢でかけがえのない時間です。

水の中の息子は、とても無邪気で生き生きと目を輝かせて遊びます。手足を思いっきり動かし、泳いだり、飛び込んだり、潜ったり。一緒に入っている私自身も、その様子を見ていると心が洗われます。水は不思議ですね。体の中にあった負の要素がみんな水の中に溶け出ていく感じがします。体はもちろん心まで軽くしてくれます。きっと赤ちゃんも一緒なのだと思います。それにベビープールの水はとても温かく、ぬるめなお風呂のような感覚で入れ、リラックスして楽しめます。 

私とベビースイミング

子育てにおいて普段の生活では、気をつけてはいるものの、つい息子のやることに口を出してしまいます。これは駄目とか、こうしなさいとか。予定があり時間が迫ると、着替えから靴を履くことでさえも、口を出してしまうことがあります。実は小言のほとんどは息子のためといいながら、私自身のための事がほとんどで…。

小言の多い毎日から抜け出したい。でもきちんと育てたい。でものびのび育てたい・・・どう子育てをすれば良いのか分からず、育児本を読みあさっていました。

そうしたら、たまたま本屋さんで手にした育児雑誌に目が釘付けになりました。息子と同じくらいの赤ちゃんが生き生きと泳ぐ姿がありました。自宅に帰り詳しく読むと、その記事はベビースイミングを紹介するものでした。スイミングによる運動神経の発達、そして親子のスキンシップにはこれ以上のものはないと感じ、直ぐにスイミングスクールを探し通い始めました。 

ベビースイミングは個人の差が当たり前

今年でベビースイミングに通い始めて早6年。はじめの3年は長男と、そして今は次男と入っています。ベビースイミングは0歳から3歳になるまでの間、赤ちゃんと親が一緒に入れるコースです。残すところあと半年になりました。

次男は長男の時とはまったく違う泳ぎをするので驚いています。兄弟とはいえどその違いは歴然。上の子はとても慎重で、初めはあまり潜ることをしませんでした。ほとんど浮き具をつけてボール遊びや、プールの中にある滑り台で遊んでいました。一方次男は湧き出るパワーと好奇心でプールの端から端へと泳ぎます。プールの中には雲梯(うんてい)もあり、魚になったり猿になったりと変幻自在。落ちても水の中なので痛くないので安心です。通い始めて1年くらいした時、周りの友達が飛び込む姿に興味を示し始めました。息子も真似して飛込み台に登り始め、何回か私と手をつないで飛び込むうちに、一人で飛び込むようになったんです。最初に一人で飛び込んだ時の表情、そして感動は忘れられません。自分で決断したのでしょう。その時はいつもと表情が全く違い、眼差しに力を感じました。

今はベビースイミングを卒業し幼児コースで泳いでいます。上達はゆっくりですが、真剣に泳ぐ姿をギャラリーから応援しています。  

子ども自身が水を感じ、水の楽しみを見出す瞬間

上の子がベビースイミングを始めた頃の私は、とにかく周りから見て良い子にしなくてはと自分にプレッシャーをかけていました。周りの子よりも早く潜れるようにとか、早く泳げるようになって欲しいといつも思っていました。早く泳げるようになればと、手足を持って動かしたりしてこともありました。そんな私を見てコーチは、息子の手や足をもって代わりに動かしても何も意味がないこと。息子も学べないことを何度も教えてくれました。大切なのは息子自身が水の中で浮くことや沈むことを覚え、手足を動かし水の抵抗を感じ前への進むこと。何よりもそのことを本人が楽しむことが最も大切なことでした。

私は息子が自分で感じる喜びや困難を奪っていたことに気付かされ、衝撃を受けたのを今でも覚えています。 

「本人が感じ考えそれを楽しむ基盤や自信があれば 、子どもは自ら水と楽しみ泳ぎだすんですよ~」 

今でも道に迷った時はこの言葉を思い出すようにしています。

それからは一緒に楽しもう、とにかく楽しむことを大切にしています。そう実践するようになってからは、息子も大きく変わりました。遊んでいるうちに潜り出し、コーチの泳ぎを真似したりしながら、とにかく泳ぐんです。泳げるんです。子どもの能力のすごさに驚かされました。 

お母さんが心から楽しむことも大切です

コーチからベビースイミングを通し、子育てや子どもとの関わり方をたくさん学びました。赤ちゃんが水と楽しめるコツやアドバイスをもらい、必要な手助けをしながら事故と怪我のないように見守る大切さ。そして何よりもお母さんが心から楽しむことがとても重要だと。

日常生活ではまだまだ実践できない課題ですが、プールの時間はとにかく楽しむ!!息子と私にとってかけがえのない特別な時間です。

 

2015/05/26/

夏休みの母校。我が水泳指導

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櫻井 誠一(サクライ セイイチ) ニックネーム:セイウチ

1950.12.27生(昭和25年) 寅年 64歳
父親・母親健在、嫁1人、娘3人+婿、孫男6人/姫2人
海に潜り、山に雪が有ればスキーをのアウトドアー指向派。
 
*布帛製品製造販売業
*(一般社団法人)全日本潜水連盟<JUDF> 専務理事・事務局長
*日体協スクーバダイビング上級指導員
*ダイビングサークル:LIFE CRUISE S&J(ライフクルーズ セイウチ&ジュゴン)
*墨田区スキー連盟副会長・都連№59東京シーベルグ同人代表

 

 目標は卒業までに100m

 我が母校、東京都墨田区立緑小学校の夏休み水泳指導を始め10余年、当時の校長先生よりお声かけ頂き現在に至ります。
 1年生から6年生までの指導で、全く泳げなかった児童が卒業までに「100mを泳ぎ切る」と言う目標を立て、校長先生はじめ先生方、保護者、地域コミニティーサークルの方々と大勢の皆さんの努力と協力で成りたち行っております。勿論、子供たちの努力がなければ成し得ない事だと思います。
 水慣れ、浮くことからを始め、目標に向かい自然を教え、水の怖さを教え、命の大切さを教え、仲間を作りその輪(和)広げ、心のつながりを持つ事が必要ではないかと考えます。
 指導としては、基本の浮き身を徹底して教え、浮力確保の補助具を有効に活用し、子供主体に徐々にスキルを伸ばして距離を泳がせる事として、達成感を双方で共有する様に指導させて頂いております。
 
 私の母は1928年生まれ87歳。第2次世界大戦で中止となった東京オリンピックの候補者でした。残念ですが幻と成りましたが、今でも元気に子供達と泳ぎ、学校のプールにも顔を出して曾孫達と水しぶきをあげています。今は解散しましたが、緑小「緑泳会」の世話役として当時活躍しておりました。

「ユックリズムで長く泳ぐ!」

  ルールを守って、終身スポーツとして楽しく、安全に水泳を愛し、泳ぎ続けられれば「いいな!」と思います。
 水中の世界も素晴らしいですよ!

※緑泳会とは… 約60年前、相模湖で子供達を乗せた遊覧船が沈没した悲しい事故があったそうです。この事故がきっかけで当時、緑小の校長阿部重蔵先生は「全校皆泳」を目指されました。阿部先生退任の時父兄が引き継いで始まったのが「緑泳会」です。民営の水泳指導機関もない社会情勢の時児童の水泳指導を担いました。

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