エピソードカテゴリー
WATER-HEROES

2018/05/07/

水泳を通じて、誰かのために

楽に泳げる水着

笈川光郎 Mitsuo Oikawa 70歳
中学1年の時 東京YMCA 夏のキャンプ野尻学荘に参加、水泳を習う
中学2年の時 野尻学荘のキャンプの遠泳で3,500m完泳
大学1年の時 野尻学荘で水泳を教えるリーダーとなった

水泳を習う

 小学生の時には、泳げませんでした。学校の水泳大会の時に参加したのは、プールの中で歩く競技でした。飛び込んでクロールで競泳をしている同級生を見て、うらやましく思っていましたが、水泳を習うチャンスがありませんでした。
 夏に東京YMCAが長野県野尻湖で開催している2週間の男子だけの中学・高校生向けのキャンプ野尻学荘に父、兄二人が毎年のように参加しており、私も中学生になったら行きたいと心待ちに待っていました。リーダーとボーイズがキャビンで一緒に寝泊まりし、食事はメインホールに全員が集まってコックさんが作った美味しい料理を食べます。野尻湖を利用して、水泳はもちろん、ヨット・ボート・カヌー・カッター・SUPなどのプログラムがあります。陸上では、アチュリー・バスケットや、湖畔一周、妙高山・黒姫山・斑尾山への登山などのプログラムがあります。
http://nojirigakuso.nojirigakuso.org/

 待ちに待った中学1年生、夏に野尻学荘に参加できるようになりました。必死で泳いで5mぐらいのバタ足でしたが、野尻学荘の水泳実習で平泳ぎを習い50mぐらい泳げるようになりました。2週間のキャンプの中間に800mの快泳がありましたが、まだ参加できる程には泳げませんでした。キャンプの後半に対岸にある弁天島からの3,500mの遠泳があり参加したのですが、波が高く泳ぎ始めに水をごほごほ飲んでしまい、早めにギブアップしました。来年こそは頑張るぞと思って、中学1年のキャンプは終わりました。
 翌年、どうしても遠泳を泳ぎ切るつもりで、中学2年の夏にまた野尻学荘に参加しました。3,500mなんていう距離を泳いだことがありませんでしたが、根性で頑張り、泳ぎ切ることができました。中学2年生だった私にとって、頑張ってやり抜ける大きな自信を持つことが出来たとても良い経験でした。

水泳のリーダーになる

 中学・高校時代は、ボーイズとしてキャンプに参加しましたが、大学生はリーダーとして参加しました。私は中学の時に水泳を習い、とても素晴らしい経験をしたので、まだ泳げないボーイズに是非、水泳を教えたいと思っていました。4月から8月のキャンプが始まるまでの間に、東京YMCAの体育館に通い水泳の教え方を先輩から教えてもらいました。また、赤十字水上安全法救助員の講習会を受けて資格を取得しました。
  もう、51年前のことになりますが、リーダーとしていろいろと準備をし、キャンプに臨みました。1966年、第31回野尻学荘の参加者で水泳の実習を選んだのは5人のボーイズでした。まず、平泳ぎができるようにと、水慣れバブリング、ビート板を使っての足の形を教え、泳力をつけて、息継ぎなどを教え、まったく泳げなかったボーイズが3,500mの遠泳に3人が完泳し、2人は翌年再チャレンジする結果となりました。
 遠泳を完泳した少年は、それまで泳げなかった訳ですから、2週間のキャンプ中に3,500mの距離を泳げるようになったことは、個人的能力アップからすれば、相当なものであったと思います。私が経験したのと同じように自分自身に自信が付いたのではないかと思います。水泳と言うスポーツを通しての体験が、その個人を大きく成長させるものではないかと思います。その子ども達のキラキラと光った嬉しそうな顔は今でも忘れられません。私は、ボーイズとして自分が楽しむ側にいた時よりも、リーダーとして参加し、子ども達が楽しむことの喜びの方が数段大きなものであることを悟りました。人生、自分のために生きるより、他者の喜びのために生きることの方がより大きな喜びであることを経験しました。

ボランティア活動

 水泳を通して学んだ人生訓を生かし、現在東京YMCAでボランティア活動を続けています。東日本大震災の時には、津波で泥だらけになった家の泥払いのボランティアに行きました。バングラデシュで学校に行けず、働かされている子どものために街頭に立って募金活動をしたり、災害発生時に緊急支援募金のために東京駅前に立ったりします。これからの社会を担う子どものよりよい成長を願い、子育て講演会を企画・実施をしたりしています。YMCAでは、「誰もが生きやすい、希望ある豊かな社会を創造する社会安心網」を意味する、ポジティブネットを創って行こうとの取り組みを始めました。私もこの為の働きを果たして行きたいと思っています。水泳を通じて学んだことを、生活に生かすことができることを幸せと感じております。

2018/01/22/

水泳を続けて楽しみも二倍、三倍


角谷 誠(Makoto Kadoya)
理容師。
墨田区両国で理容室「ヘアーサロン ロダン」を営む。
http://www.hairsalon-rodan.com/

水泳だけは得意でした

私が水泳に関わり始めたのは小学校一年生(6歳)からです。
夏のプール参観に来ていた両親が顔に水をつけることもできず、プールサイドにしがみついているだけの私を見て、「この子には水泳を習わさなくちゃダメじゃないかしら」となり、当時地元の子どもたちが習っていた緑泳会(りょくえいかい)に入ることになりました。
それから私はこの水泳という競技に関わり始めました。

元々、スポーツが得意!という感じの幼少期ではなく、肥満体型で走るのも、球技も、体操も、鉄棒も…ほとんど全部(笑)がダメでした。
ただ小学校一年生から初めていた水泳だけは、こんなスポーツ音痴の私でもどうにかこうにか人よりは泳げ、いつの間にか得意になっていました。これは自分ではあまり気づいていなかったでしょうが、今考えると自信になっていたのでしょう。
両親に感謝ですね!

2017/12/05/

積み重ねてきた、努力の結晶

中板清乃

中板清乃(Kiyono Nakaita)
東京都墨田区立緑小学校六年生

第40回全国JOCジュニアオリンピックカップ 夏季水泳競技大会
シンクロ競技 10-12才 ソロ優勝 最優秀選手
2017年度ユースエリート選手

シンクロとの出会い

 シンクロナイズドスイミングに出会ったのは、同じスイミングのお姉さんがシンクロをやっていて、ちょうど体験レッスンがあると知ったことがきっかけだった。二歳からスイミングに通い、潜ることが大好きだったので、“楽しそう”という軽い気持ちで参加した。しかしそこにはテレビでしか見たことのなかった「シンクロ」の世界があった。踊ることも好きで、習い事ではチアリーディングもしていた。まさに吸い寄せられるかのように、水の中で自分を表現するシンクロの世界に一気に興味がわいた。
 最初は楽しさが勝り遊び感覚で関わっていたけれど、全国を目指すという目標があるということを知った頃から、次第に競うという意味合いが大きくなる。練習メニューがきつくなり、中途半端な気持ちではついていけず、慣れていない練習に戸惑う日々。思うようにいかず、毎日のように泣いた時期もあった。しかし厳しい練習に耐え、ジュニアオリンピックのメンバーに上級生に混じり、下級生でただ一人選ばれることになったことが、喜びと自信につながっていく。

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