エピソードカテゴリー
WATER-HEROES

2017/06/14/

水泳を通じて頑張る楽しさを伝えたい

門垣 祐平(Yuhei Mongaki)
職業 水泳インストラクター
水泳の個人指導 スイスイクラブ 代表 子供のパーソナルレッスンを中心に指導。

私は3歳の頃から水泳を習い始め、8歳で選手コースに所属し小学校、中学校、高校のはじめまで競泳選手として日々練習を重ねてきました。プールの練習が大好きで物心がつく頃には泳げるようになっていて、コーチに誘われるがままに選手コースにあがり、気がついたら毎日のように練習をする生活が始まっていました。
朝起きて学校に行くのと同じような感覚で毎日水泳を練習してきました。クラブチームやコーチに恵まれ(コーチはめちゃくちゃ恐かったけど)、全体的にレベルが高いチームだったので負けず嫌いの精神で必死に練習に食らいつき、JO出場、入賞、海外遠征合宿など貴重な経験をさせていただきました。


左からJOの写真、海外強化合宿

 

悔しい思い出の方が多かった選手時代

ただ私は才能に恵まれた選手ではなかったです。
もし、競泳選手だった頃の自分を自分で褒められる点といえば、

・練習をほとんど休まなかったこと
・コーチのアドバイスをしっかり聞いて、忘れなかったこと

これは自分でも胸を張れる部分です。レースで結果を出せて嬉しかった思い出もたくさんありましたが、どちらかというと練習が辛かった思い出や試合での悔しい思い出のほうがたくさんあります。笑

電光掲示板にタッチした瞬間に壁を殴って拳がずるむけになったり、JOの会場で思うような結果が出せず、悔しくて大泣きしたこともありました。
その後高校2年生くらいの頃、反抗期であったということもあり「こんだけ努力しても一番になれないなら、もう水泳を続けててもしょうがない。」と自暴自棄になって競泳選手を辞めました。思うような結果を出せなかった自分に対して自己嫌悪にも陥り、水泳も大嫌いになりました。

水泳を離れてから気づいたこと

小学生からずっと、17時半に家を出てプールに向かうという生活が習慣となっていました。(だいたいNHKのおじゃる丸というアニメが終わった瞬間に家を出るとちょうど良い時間にプールに着くのを、今でも覚えています。)なので競泳を辞めたばかりの時期は、毎日17時半頃になると「あ!!プール行かなきゃ!!・・・・あ、いや俺プール辞めたんだっけ・・。」というような不思議な感覚がに陥った時期もありました。そして「もうプールは辞めたから、辛い練習に行かなくていいんだ!なんて幸せなんだ!」と浮かれていた時もありました。これからは時間を自由に使えるので今まで我慢してできなかった遊びをたくさんやろうと思い、友達と夜遅くまで公園でしゃべったりカラオケに行ったり好きなテレビも見れて本当に自由で楽しい毎日でした。

それと同時に、ふとした瞬間に心のどこかに何とも言えぬ虚無感、焦燥感も感じていました。頑張るものや目標がひとつもなくなってしまってしまったので、どことなく毎日に味気無さを感じるようになりました。

起業して、指導者の道へ

何かに対して情熱を注ぎ努力すればするほど、目標を達成する喜びも負ける悔しさもより一層大きなものになります。競泳選手を辞め自由な時間を手にし、暇を持て余していても心から幸せだとは思えませんでした。何も目標がないまま生きるより、いつも何かしら目標を持ち続けて喜んだり悲しんだりできる人生のほうがきっと楽しいと思い、私は大学卒業後サラリーマンを辞めて起業の道を選びました。
今は水泳教室を運営し、子供たちに水泳を教えています。

一度は水泳から離れた自分がまた水泳に携わりたいと思ったのは、正直なところ私には人様の役に立てそうなものが、水泳を教えることくらいしかなかったからという理由でした。ですが多くのお客様や子供たちと水泳を通じて関わらせていただきながら、泳げるようになって喜んでくれる子供たちや大人の方や保護者の方から「ありがとう」と言ってもらえるうちに、僕自身が気づかされたことが本当にたくさんあります。

水泳を通じて学んだ事

今思えば競泳選手時代の私は、誰かに勝つとか大会で優勝するとか他人と比較した目標ばかりを設定してきたような気がします。もちろん競泳は他人とタイムを競い合う競技ですからそれは当たり前のことなのですが、誰かに勝つために頑張るという以前にまずは自分の成長を楽しむことのほうがもっと大切なことではないかと今では思うのです。自分自身と向き合い練習を積み重ねていくうえで水の流れや感触の変化を感じ、心・技・体それぞれにおいて前の自分より少しでも成長すること、そしてそれを楽しむことを常に第一に考えることが水泳を楽しむコツだと思います。まだ高校生だった頃の私は目標に振り回されて、水泳を楽しむことを忘れてしまっていました。

競泳選手を辞め大人になり水泳指導をさせていただくようになって、水泳の楽しさを思い出すことができました。それだけでなく自分に合った目標の立て方や仕事に対するやりがい、そして改めて水泳を教えてくれたコーチ、昔のチームメイト、そして水泳を習わせてくれた両親に対する感謝の気持ちなど、現在も様々な事を私自身がお客様や子供たちを通じて学ばせていただいています。

水泳指導で伝えたい事

今、私が水泳指導を行っている子供たちのなかにもそれぞれ色々な目的を持って水泳を習いに来てくれています。
「泳げないことを克服したい子」「学校の検定に合格したい子」「選手として、タイムを上げたい子」などなど。水泳をどこまで上達させたいかは、それぞれのご家庭の教育方針や本人の意思や状況などにもよって異なります。
私の仕事はその子供たちそれぞれの目指すゴールに向かって、よりわかりやすく、効率よく、楽しく指導することですが、単純に水泳の技術だけを教えるコーチでは終わりたくないと思っています。その子がその子なりに「水泳」というスポーツを通じて、前の自分よりも成長したり目標を達成することで、自信や喜びを感じてほしいと思っています。そういった心の成功体験は、その後の人生においてかけがえのないものになり得えます。

そしてそれを伝えるためには、私自身も日々の生活や仕事において自分なりの目標を持ち毎日成長していかなければならないと思います。これからも水泳を通じて子供たちと一緒に僕自身も成長していきたいです。

門垣 祐平

2017/05/17/

水泳がつないでくれた出会い


左から二番目がIさん

M.I
職業 会社員、公認スポーツプログラマー、パーソナルトレーナー(兼業)
平日は、会社員として勤務。土日の休日は、子どものパーソナル指導をメインに水泳指導を行っている。現在では、大人向けのパーソナル指導や教室指導も行う。

親の反対を押し切って進んだ水泳の道

幼いころ、父が医者、母が看護師という家庭に生まれ、毎日のように塾と習い事の毎日でした。
月曜日から土曜日まで、ほとんどが塾で、水曜日だけ水泳という日々を送っていました。勉強をしていても楽しくなく、父の職場にいっても医者になりたいと思うことがなく、なんとなく水泳を続けていたときに、二つ下のスイミングの後輩がジュニア五輪で優勝。その姿に感動して「俺も水泳選手になる!」と決めて、塾をやめてしまいました。そしてそのまま選手コースに入ったのが、小学5年生のときでした。

父親は大激怒し、大学を卒業するまで口を利かない結果になりました。水泳選手としての生活は順調で、小学生の時には市内の大会で優勝し。50M自由形では中学時代は、市内の大会では自由形で3連覇、200M個人メドレーでは、大阪府中学で10位。地区大会でも上位入賞し、全国大会までは出られませんでしたが、関西の大きな大会には出場しました。50M自由形で10位で決勝に残れなかったのが本当に悔しかった出来事でした。

2017/04/07/

ぼくにとって一番好きなこと

川島朝陽 Asahi Kawashima 12歳
小6(4月から中学1年)
ルネサンス両国所属選手
小3で初の全国大会出場
小5で 200m個人メドレー全国優勝・50m平泳ぎ全国2位・メドレーリレー全国3位
今年2月にフリーリレー(ルネサンス両国チーム)短水路日本学童新記録樹立

好きだから、もっと挑戦したい

ぼくが1番好きなことは水泳です。姉が水泳をやっていて楽しそうだと思ったので、家の近くのスイミングクラブに入りました。水泳を始めたときは水に入れるだけでとても嬉しかったです。

小1で育成クラスに上がってから、楽しいだけではなく本格的に練習が始まりました。辛い練習も水泳が好きだったから乗り越えることができました。

小2で初めて合宿に参加して、仲間が増えました。ジュニアの選手はみんなジュニアオリンピック(JO)という全国大会を目指すと知り、ぼくもそれを目標に毎日練習しました。

小3の11月にとうとう初めてJOへの切符をつかみました。ぼくは目標をJO出場からJO優勝に変えました。小3で出場した初めてのJOは緊張でうまくいきませんでした。

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