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人生も水泳も、チャレンジだ

2015/03/24

若松 力|人生も水泳も、チャレンジだ

若松 力
建設コンサルタント会社 技師長(技術士 建設部門:河川、砂防及び海岸・海洋)

姉の影響ではじめた水泳

高校時代の若松さん

私が新潟市で小6の頃、高3の姉が水泳では県でもトップクラスの高校に通っており、その影響で水泳を始めました。その後、市内の水泳大会で優勝したのをきっかけに高校の監督から「うちで泳いでみないか」と言われ、高校生のお姉さんたちに交じって練習をしていました。それから中学、高校、大学と水泳を続け、社会人になってからも若干のブランクはありましたが、後でお話しする病気で泳げなくなる5年前、55才まで続けました。

水泳のモチベーションとなったライバルの存在、
そして仲間

高校の頃は背泳ぎを専門としていたのですが、県大会でどうしても勝てないライバルがいて、万年2位でした。ところが、2年の秋に一度だけ1位になったことがあるのですが、それは試合当日、そのライバルが住む佐渡からの佐渡汽船が悪天候で欠航したからという笑い話のようなことが思い出されます。実はそのライバルは東京でデザイン会社を経営していて、40代になって埼玉、東京のマスターズ大会で再会し、子供みたいですが、私が当時のリベンジを果たし、以来負けていません。

高校_大学時代の若松さん

また、高3の時は県大会が新潟市で開催され、私が通っていた高校のすぐ裏手、海辺の50mプールが試合会場でした。その時は選手宣誓の栄誉を与えられ、緊張のなかにも気持ちが盛り上がっていました。レース前にプールサイドで気持ちを集中させていると、なにやら大勢の人がぞろぞろプールサイドを囲み始めました。良く見るとなんとクラスメイト全員ではないですか。そして、「若松、ガンバレー」と声を上げ始めました。これにはびっくりです。後で聞いてみると、水泳部の顧問がたまたまクラスの担任で、数学の先生でしたが、大会役員のため、数学の時間が自習になり、「じゃーみんなで若松の応援に行くか」ということになったとのことでした。しかしみんなの応援むなしく、佐渡汽船が欠航ではなかったため残念ながら2位に終わりました。

幼い頃から、水泳のある生活が当たり前のようにあった若松さん。しかし実は100%遺伝性の難病、腎臓に葡萄のような嚢胞(のうほう)ができ、次第に大きくなり正常な組織が減っていき、腎機能が低下していくという「多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)」という病気(※A)に罹患(りかん)していました。

病名を告げられたのは、今から26年前。34歳のときでした。

伝えたい、臓器移植について

タイトル

50才位までは症状は軽く、競泳の最高成績は45才の時、2000年のジャパンマスターズで50mバタフライが29秒79で2位、100mフリーが1分4秒20で3位です。

オープンウォーターでは、1999年の館山オープンウォーターで年齢別で2位。翌年は1位。2005年の新島オープンウォーターでは総合2位に入りました。

しかしながら、55才くらいから腎機能が急速に衰えはじめ、吐き気やだるさ、脚のけいれん、疲労に悩まされ、泳ぐどころではありませんでした。ついには会社の勤務時間も少なくしてもらい、やっと生活しているような状態でした。

58歳の一昨年10月、遂に人工透析をしないと命にかかわるということで、妻からの腎臓の提供により、生体腎移植を受けました。

1か月の入院で10kg体重が落ちましたが、術後半年から泳ぎはじめ、今では週3~4回、2000m/日のトレーニングができるようになりました。劇的な変化です。辛かったあの頃の4年間がうそみたいです。人工透析になれば水分制限、たんぱく制限、運動制限と制限だらけになるところを、ビールは好きなだけ飲める、ステーキでもなんでも食べられる、好きな水泳もできる。
 —–このことを何らかの手段で、どうしてもみんなに知らせたいのです。腎移植の素晴らしさを。

現在、日本での人工透析者は約32万人、(※B)一方で腎移植は年間約1600例(※C)(うち生体腎移植(若松さんのように家族からの提供)が1400例、献腎移植(脳死や心臓死による第3者の提供)が200例)ですから、大雑把に言うと200人にひとりしか腎移植をしていないということになります。

腎移植が、なぜそんなに少ないのか――。

若松さんの考えをお聞きしました。

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2010年に改正、施行された臓器移植法により、本人以外に家族の同意でも臓器提供ができるようになり、臓器移植が促進されると期待されたにもかかわらず、年間200例(※C)と献腎移植は横ばいです。それは国民一人一人が制度に無関心で、臓器提供の意思表示がなく、脳死、心臓死のいずれにおいても臓器摘出ができない事情があること。

また、政府、公共機関が幅広く広報して、国民に知らしめる努力が足りないことなどが原因ではないかと私は思います。例えば臓器移植先進国のスペインでは人口100万人あたりの臓器提供者は32.0人なのに対し日本はわずか0.1人、実に320分の1でしかありません。アジアで言えば台湾は9.0人で、日本は台湾の90分の1という状況です。不謹慎な言い方かもしれませんが、年間4000人(※D)腎臓は2個あるので8000人を救える。)を超える交通事故死の方が、臓器提供の意思表示をしていたとしたら、たちどころに問題は解決するのです。現在、献腎移植を待っている人は12000人、登録から手術までの平均待機期間は15年とされています。(※E)その間に亡くなる人も大勢います。なんとか、この事実をみんなに分ってもらいたい。そして…
健康保険証の裏、運転免許証の裏に臓器提供意思を示してもらいたいのです。

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 もう一つの原因は、透析患者の皆さんが腎移植のこと、あるいは国が進める制度を知らないことだと思います。私が妻から腎臓を貰って生体腎移植をしたというと、多くの人が、「良く腎臓の型があったね」と言われます。いまやそんなことはないのです。

近年の免疫抑制剤の進歩などで(※C)液型が違っても問題なく移植できます。
今や血液型不適合の手術は全体の3割を超えます。(※C)
そのことさえ知らない人が多いのです。

また、透析患者は身体障害者として認定されますが、厚生労働省の制度では、症状を軽くし、社会参加がより可能になる治療に関しては、「自立支援(更生医療)」があてはまり、月額医療費の上限が定められ、よほど高額の収入でない限り、月額5000円~20000円です。(※F)私も500万円の手術費用と数十万円の入院費用の支払いをする月でさえ、支払いは2万円でした。また、私は免疫抑制剤などの薬価代が1日5300円、月に16万円かかりますが、支払いは月5000円です。このようなことを知らず、どうせ高額な手術と一生飲み続ける高価な免疫抑制剤には自分の経済力から手が出ない、と思われている方が多いのです。

 

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水とかかわることで人生の目標にチャレンジしています

私は人生とはチャレンジである。戦いである。と思っています。仕事も1993年、38才の時に東京の上場会社から仲間3人と埼玉で起業し、業界で埼玉一になろうと目標を立て、チャレンジを続け、社員40人を抱える会社に育て上げ、20年弱で埼玉一になりました。今年4月からは60才を機に長野の会社に移り、新たなチャレンジを開始します。
水の魅力も同様、チャレンジ人生の一環。泳ぐこと、そして、泳ぎに係わる様々なことに目標を掲げ、チャレンジすることの楽しさを満喫しています。

世界移植者スポーツ大会に(※G)挑戦中

現在は2年後の2017年、スペインのマラガで行われる第21回「世界移植者スポーツ大会」で世界新記録を樹立しての優勝、それも自由形100m、200m、400mの3冠、完全制覇に挑戦しています。

「世界移植者スポーツ大会」とは、臓器移植を行った世界69カ国、1500人以上が参加するIOC国際オリンピック委員会が国際スポーツ大会として公認している、国際大会です。
(※H)
水泳競技では、これまで2003年フランス大会で女子50mバタフライ、100m自由形、200m個人メドレーで太田友恵さん(肝臓移植者)が世界新で3冠。(※I、J)この世界記録はいまだに破られていません。残念ながら男子では日本人の世界記録保持者はいません。若松さんには日本人初となる快挙の期待がかかっています。

最後に

この文をお読み下さった方のなかに、スポーツ用品メーカー、製薬会社、医療関係者の方、また、テレビ局、新聞社、雑誌社等報道機関の方がいらっしゃいましたら、お願いがあります。これまでお話ししたことをなんとか世の人に分かってもらうため、次の二つのことをお頼みしたいと思っております。

ひとつは世界移植者スポーツ大会に参加する日本選手団のスポンサーになってほしいのです。30万円を超える自費参加の選手団、選手団に同行して下さる自腹参加の医師、同じく自腹参加の事務局の方のためにスポンサーになってほしいと思っています。

もうひとつは、私は必ず100m、200m、400mとも世界新記録で優勝しますから(笑)スペインまで取材に来ていただきたいということです。報道を通じて広く日本の皆さんに移植の素晴らしさを伝えてもらった上で、より臓器移植が促進され、そのことにより私のように命を救われ、健康を取り戻す人が一人でも増えるよう願ってやみません。

若松 力さんへのご連絡は、日本移植者スポーツ協会事務局へお願いいたします。